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大河ドラマ「晴天を衝け」元大蔵省官僚_渋沢栄一の人生に思うこと

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 こんにちは。およちゃんです。
 2月14日からNHK大河ドラマ「晴天を衝け」が始まりましたが、その主人公である渋沢栄一の人生から私の思うことを書いていこうと思います。

1 渋沢栄一とは

 1840年に埼玉県深谷市に農民の子として生まれ、1858年に結婚。一橋慶喜(後の徳川慶喜)に仕え、パリの万国博覧会(1867年)を視察し、大政奉還により帰国。その後は静岡藩に出仕するも、大隈重信の説得もあって、旧大蔵省に出仕。度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わりました。

 旧大蔵省辞職後は、実業家として理化学研究所東京証券取引所などといった会社の設立・経営、また、商法講習所(現・一橋大学)などの設立にも尽力し、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称されています。また、妾との間に50人とも云われる子供を作っていたと言われています。今では考えられませんが、すごいですね。

 そんな渋沢栄一さんですが、2021年の大河ドラマの主人公として取り上げられていて、2021年2月14日からNHKで放映がスタートしました。また、2024年度の上半期に新一万円札として、表の図柄に顔が印刷されることも決まっています。まさに今話題の人物と言っても過言ではありません。

2 官僚時代

  東洋経済オンラインの記事(https://toyokeizai.net/category/shibusawa-eiichi)を引用すると、大隈重信から大蔵省へ出仕することを打診された際、渋沢は「大蔵省には一人の知人も友人もいない。またその職務も少しも経験のないことだから、どうしてよいかさっぱり様子がわからない」と言ったそうです。人事異動で初めての部署異動と似ているというか、国への出向の感覚と似ている感じですね。昔の人も今の人たちと同じ感覚だったんだなと思うと、同じ人間なんだということを(当たり前ですが)しみじみ実感させられます。

 そこからは大蔵省で働き始めますが、目的が欠けているとして早々に辞職。実業家の道を歩み始めます。渋沢は公務員としても十分な素質はあったものだと思いますが、やりたいことではなかった(自分が想像していたのとは違った)ので辞職するというのは、公務員に新卒で入庁して辞めていく人たちとパターンが似ている気がします。

3 学ぶべきこと

  最終的には実業家として数々の成果をあげる渋沢栄一ですが、公務員を早々に辞職して自分のやりたいことで成果を上げることは非常に難しいことだと思います。公務員として入庁し新卒から定年退職までずっと公務員として生涯を全うするのもそれはそれで一つの人生だと思いますが、新しいことに挑戦して様々な刺激を受けた渋沢栄一の人生も一つの人生です。刺激の多い人生はその人の豊かさにもつながるものと思います。

 また、私の場合、人生においてリスクを取るか、安定を取るかで言うと「安定」を取ってしまいます。しかしながら、渋沢栄一の人生・生き様を見ていると、新しいことにチャレンジしないと人生充実しないのかなと思いました。今の職場にずっといたい(異動したくない)!とかではなく、広い視野を持ち、見聞を広めることが人生を充実させる第一歩なのかなと感じています。

 ちなみに、渋沢栄一は、1840年に生まれ、1931年に死没しています。91歳まで生きたのです。年代を考えると、とても長生きですよね。長生きの原因として、充実した生活が一つの要因となっているのではないでしょうか(妾が多かったのも長生きの秘訣?)。長生きするには刺激の多い人生が必要条件な気がしてなりません。

4 さいごに

 今回は薄い内容でしたが、渋沢栄一が昨日今日のトレンドでしたので、話題に乗っかって思ったことを書いてみました。偉人たちの人生について、参考にする部分は多々ありますので、ほかにも興味があれば検索すると面白いものが出てくるかもしれませんよ。